藤井晧玄碑

この碑は大正3年に建立! 阪谷芳郎の撰文が彫られている!
碑の南側に祀られている三つの祠!
この碑は大正3年に建立!
藤井さまと呼ばれていた三つの祠!

由緒・余聞

< 晧玄碑と三つの祠 >
・石砂集落の石畑池 端に「藤井晧玄碑」と「三つの祠」が祀られている。
・石碑は大正3年(1914)に建立。(この碑には、阪谷芳郎の撰文が彫られている)
・藤井晧玄が信長から貰った鉄砲50丁を駆使し、神辺城を襲撃したのが永禄12年(1569)のこと ...そして同年12月、
 玄勢は毛利方と細川方の反撃に遭い、次男と数名の側近を連れ当地の山中(御嶽山)へ逃げ込んだ ...追い込まれた晧玄
 は御嶽山中腹辺りで細川の家臣に討ち取られたと言う説と、一方では自決したという二通りの説が伝えられて
 いる。(こ終焉の地には間違いないようだ..)
・碑の傍らには小さな祠「藤井神社」が祀られている。また碑の南側には地元の人達から「藤井さま」と呼ばれていた小さな
 三つの祠が残っている。...この祠は江戸中期頃、近くの藪の中で見つかったという地元の伝承談がある。(晧玄の胴墓
 の可能性も ...?)

由緒・余聞

< 晧玄碑と三つの祠 >
・石砂集落の石畑池 端に「藤井晧玄碑」と
「三つの祠」が祀られている。
・石碑は大正3年(1914)に建立。(この
碑には阪谷芳郎の撰文が彫られている)
・藤井晧玄が信長から貰った鉄砲50丁を駆
使し、神辺城を襲撃したのが永禄12年(15
69)のこと ...そして同年12月、晧玄勢
は毛利方と細川方の反撃に遭い、次男と数
名の側近を連れ、当地の山中(御嶽山)へ
逃げ込んだ ..追い込まれた晧玄はここ御嶽山中腹辺りで「細川の家臣に討ち取られた」と言う説と、一方では「自決した」という二通りの説が伝えられている。(ここ
が終焉の地には間違いないようだ)
・碑の傍らには小さな祠「藤井神社」が祀
られている。また碑の南側には地元の人達
から「藤井さま」と呼ばれていた小さな三
つの祠が残っている ..この祠は江戸中期頃、近くの藪の中で見つかったという地元
の伝承談がある。(晧玄の胴墓の可能性も
ある ..?)

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