御滝神社とかごの木
由緒・余聞
・岡山県神社庁発行の「神社誌」によると御滝神社の創建は寛文6年(1666)と伝えられているが、以前寛永 年間(1630年代)頃に 既に御嶽山山頂付近の南面に祀られていた。 当時参勤交代等で沖(水島灘)を通る船が難破するなど不吉な事象が起きたと言う ...そしてこのような 事象を鎮めるため御神体(権現様)を海から見えない場所に移したとされる。それが神社誌に残っている御滝 神社の創建年(寛文6年)とされている。 ・ここは昔から「権現さま」とも呼ばれていた。木々の間から差し込む日で、神社は神々しく見える神秘的な 場所でもある。 ・境内には天然記念物にも匹敵するような「かごの木」が自生している。また参道には明治30年に氏子によっ て建立された注連柱と、酒造所2社が寄贈した阿吽の石造物があり、一つは「作州勝山 辻彌平」もう一つは 「備後東城 福本治郎 」の名前が確認できる。当神社が酒造りとどう関わっていたのかは不明である。 |
由緒・余聞
・岡山県神社庁発行の「神社誌」によると 御滝神社の創建は寛文6年(1666)と伝 えられているが、以前寛永年間(1630年 代)頃にはすでに御嶽山山頂付近の南面に 祀られていた。当時参勤交代等で沖(水島 灘)を通る船が難破するなど不吉な事象が 起きたと言う。そしてこのような事象を鎮 めるため御神体(権現様)を海から見えな い場所に移したとされる。それが神社誌に 残っている 当神社の創建年(寛文6年)と されている。 ・ここは昔から通称「権現さま」とも呼ば れていた。木々の間から差し込む日で神社 は神々しく見える神秘的な場所でもある。 ・境内には天然記念物にも匹敵するような 「かごの木」が自生している。また参道に は明治30年に氏子によって、建立された注 連柱と造り酒屋2社が寄贈した阿吽の石造 物があり、一つは「作州勝山 辻彌平」も う一つは「備後東城 福本治郎」の名前が確 認できる。当神社が酒造りとどう関わって いたのかは不明である。 |