誇り高き集団/備中杜氏
<弟子たちの育成!>
・忠吉から教えを受けた浅野藤十が杜氏となり ” 酒造りの魅力 ” など知
らしめたため、元文年間頃から地元(大島村)で” この道 ”を志す者
者が増えたといわれている。
・藤十は安永8年(1779)に死去しているが、天保年間には杜氏の数は
6名に ..安政年間にはさらに増え、灘地方などへ出稼ぎに行くまで
になっていた。
” 忠吉からの教えが藤十を介して弟子たちに伝授されて行った ”
<杜氏村拡大!>
・そして、杜氏の出身地も現在の井原市、笠岡市(旧大島村・吉田村)、浅口
市寄島・鴨方・金光、里庄町、玉島黒崎まで拡大していった。
” 明治20年頃には100名を誇る杜氏の里となった ”