杜氏と杜氏の里誕生
< 杜氏が誕生した背景!>
・江戸時代(寛文7年/1667)に入り、大型の仕込み樽が普及するにしたがって、酒造りは通年から寒造りに移行して行った。 ・蔵元では冬の期間の労働力が必要となり、一方では冬季仕事のない農村・漁村の村人たちとの間で利害関係が一致し
” 出稼
ぎ農山漁民 ” が誕生した。
・当然そこには、これらを取り仕切るリーダーが必要となり ” 杜氏 ” という職業が生まれた。
・そして酒造りの技法を受け継いだ杜氏またはその集団を、この人たちの出身地の名前をとり 「〇〇杜氏」 と呼ぶようになっ
た。
< 杜氏の里誕生!>
・将軍徳川家綱・綱吉の時代に伊丹では、すでに越前、越中、越後など「北国路筋」からの出稼ぎ農民を対象に地元の造り酒屋(蔵 元)に斡旋する口入屋があったといわれている。
・享保9年(1724)頃になると船での大量輸送が可能となり、酒郷の中心は海から遠い伊丹に変り、水と港に恵まれた灘(神戸・ 西 宮)地方が注目され始めた。
” これが江戸後期の灘五郷(後に銘醸地となる)へとつながっていく ”
・この頃から、出稼ぎで本場の酒造りを修業した杜氏や蔵人が他の地域の蔵元から招かれ、そこで先に習得した技法を伝授する ことにより、全国各地に”杜氏の里”が誕生していった。
杜氏と杜氏の里誕生
<杜氏が誕生した背景!> ・江戸時代に入り、酒造りは通年から寒造りに移行して行った。 ・人手が必要となった蔵元と冬季仕事のない農村・漁村の村人との間で利害関係が一致し ”出稼ぎ農山漁民”が誕生した。 ・当然そこには、これらを取り仕切るリーダーが必要となり”杜氏”という職業が生まれた。 ・そして杜氏またはその集団をこの人たちの出身地の名前をとり ”〇〇杜氏”と呼ぶようになった。 < 杜氏の里誕生!> ・将軍徳川家綱・綱吉の時代に伊丹では、すでに「北国路筋」からの出稼ぎ農民を対象に地元の造り酒屋に斡旋する口入屋があったといわれている。 ・享保9年(1724)頃になると船での大量輸送が可能となり、酒郷の中心は海から離れた伊丹に変り灘地方が注目され始めた。 ・この頃から、出稼ぎで本場の酒造りを修業した杜氏や蔵人が他の地域の蔵元から招かれ、そこで先に習得した技法を伝授する ことにより、全国各地に”杜氏の里”が誕生していった。 |