金崎/常夜燈&地神様
由緒・余聞
< 金崎の常夜燈 > ・西大島新田防潮堤先端付近にある金毘羅宮の常夜燈。 ・建立は安政2年(1855)、入江・西大島新田(鳥越新兵衛)完成から120年以上後のこと ...。 ・五段の基礎石で築かれた石灯籠の高さは5メートルを超える。(市内の石灯籠では最大級である ...) ・ここでは、隣りにある金毘羅宮が主宮だが、桁外れに大きい常夜燈の随神社かと錯覚してしまいそうになる。 ・長い間、この沖を行き交う船の安全を金毘羅様と一緒に見守ってきたこの常夜燈、また幾度かの台風被害にも耐えた この勇姿(重要文化財級)を、今はもう見ることができない ...。 ・令和2年、この一帯(干拓堤防)の補強・嵩上げ工事により常夜燈は一時撤去された。工事完成後に復旧されたもの の過去の勇姿とはほど遠い状況に復元された。 < 五角柱地神様 > ・石碑の正面と思われる面に「吉備津神社」その隣には「地神様」つづいて「天照皇大神」「大峰山上大権現」そして 建立年度が彫られている。 ・ここでは、主神「天照皇大神」が南向きで、それ以外の四神をまとめて「地神社」とするなど、珍しい祀り方をして いる。 |
由緒・余聞
<金崎の常夜燈> ・西大島新田防潮堤先端付近にある金毘羅宮の常夜燈。 ・建立は安政2年(1855)、入江・西大島新田(鳥越新兵衛)完成から120年以上後のこと。 ・五段の基礎石で築かれた石灯籠の高さは5メートルを超える。(市内の石灯籠では最大級である ...) ・ここでは、隣りにある金毘羅宮が主宮だが、桁外れに大きい常夜燈の随神社かと錯覚してしまいそうになる。 ・長い間、この沖を行き交う船の安全を金毘羅様と一緒に見守ってきたこの常夜燈、また幾度かの台風被害にも耐えたこの勇姿(重要文化財級)を今はもう見ることができない 。 ・令和2年、この一帯(干拓堤防)の補強嵩上げ工事により常夜燈は一時撤去された。工事完成後に復旧されたものの過去の勇姿とはほど遠い状況に復元された。 < 五角柱地神様 > ・石碑の正面と思われる面に「吉備津神社」その隣には「地神様」つづいて「天照皇大神」「大峰山上大権現」そして建立年度が彫られている。 ・ここでは、主神「天照皇大神」が南向きで、それ以外の四神をまとめて「地神社」とするなど、珍しい祀り方をしている。 |