旧金崎橋/竣工記念碑&道標

由緒・余聞

< 旧金崎橋記念碑 >
・碑には「金嵜橋」「浅口郡西大島村」「発起人 植田利喜三郎」「明治24年11月架設」と彫られている。
・ここに橋を架けることは鳥ノ江、夏目集落の人々の宿願でもあった。そこで鳥ノ江の植田利喜三郎氏が発起人・
 となり西大島村からの補助金の他、近隣の町村から147人の寄付者および6人の労働奉仕者を集め明治24年11月
 幅約2m 延長約32mの橋が完成 ...金嵜橋と命名。(現 金崎橋)
・待望の橋の完成は、西大島新田完成から160年後のこと ...現在は新しい橋が架かり、この橋は閉鎖(大半取壊)
 された状態であるが、草むらの中にひっそりと残るこの碑は大切に後世に残していきたいものである。

< 道しるべ >
・ガードレールと雑草に阻まれ、橋の記念碑と並んで建立されている。
・標石には「大正8年6月」「施主 本村服部盛正」と刻字されている。また、この他に「橋渡〇〇十一丁鳥ノ江 長浜」
 「正頭天王神社一里余奥濱」「右.横島道通神社十一丁笠岡驛 一里余〇〇所奥筋井笠鉄道」「左.大島中 寄島一里余」
 「玉島町約四里半」道、などと標されているようだが、風化は進み判読しづらくなっている。
・この標石は西大島と大島中を結ぶ海岸回りの道(夏目~鳥ノ江~長浜~正頭~奥濱~乗時)が開通した頃、これを記
 念して建立されたと思われる。

由緒・余聞

< 旧金崎橋記念碑 >
碑には金嵜橋浅口郡西大島村発起人 植田利喜三郎・明治24年11月と彫られている。
・ここに橋を架けることは鳥ノ江、夏目集落の人々の宿願でもあった。そこで、鳥ノ江の植田利喜三郎氏が発起人・総代となり西大島村からの補助金の他近隣の町村から147人の寄付者および6人の労働奉仕者を集め明治24年11月、幅約2m 延長約32mの橋が完成 ..金嵜橋と命名。(現 金崎橋)
待望の橋の完成は、西大島新田完成から160年後のこと .. 現在は新しい橋が架かり、この橋は閉鎖された状態であるが、草むらの中にひっそりと残るこの碑は、大切に後世に残していきたいものである。

< 道しるべ >
ガードレールと雑草の阻まれ、橋の記念碑と並んで建立されている。
・標石には「大正8年6月・施主 本村服部盛正」と刻字されている。また、この他に「橋渡〇〇十一丁鳥ノ江 長浜」「正頭天王神社一里余奥濱」「右.横島道通神社十丁笠岡驛里余〇〇所奥筋井笠鉄道」「左.大島中 寄島里余 玉島町約四里半」道、などと標されているようだが、風化が進み判読しづらくなっている。
・この標石は、西大島と大島中を結ぶ海岸回りの道が開通した頃、建立されたと思われる。

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