余聞/こぼれ話 め組の喧嘩!

・文化2年(1805)2月に火消し衆と力士の間で大喧嘩があった、「め組の喧嘩」である。
・芝明神境内で開催していた江戸相撲をめ組の火消し衆が無銭見物しようとしていたところを通りかかった力士が注意
 した、このことが発端となりその後芝居小屋で鉢合わせした両者(火消し組と力士組)が仲間を集め大乱闘となり芝
 居を台無しにしてしまった。(この時、力士組の中に鬼怒川もいた ...当時35歳)
・幸い死者は出なかったものの、三奉行(寺社奉行、町奉行、勘定奉行)より特に火消し衆達には厳しい御咎めがあっ
 たようだ。
・やがて大乱闘を起こした双方(火消し組・力士組)が奉行所の取り調べを受ける日がきた。鬼怒川は裁きを待つ間、雷
 のようないびきをたて、敷石の上で大の字になって寝てしまった。その姿を見た奉行は「罪あるものは白洲に引き出さ
 れようとする時、寝ることなどできぬ」「汝の潔白は相見えた ...調べるに及ばず」と無罪放免の判決が下った。
・この喧嘩騒動は講談本等になり正義を通した力士を主人公に江戸町民に広く知らされた。今も日本相撲協会の歴史の一
 ページに記載されている。


                                              参考文献:ふるさと大島の伝説
・文化2年(1805)2月に火消し衆と力士の間で大喧嘩があった、「め組の喧嘩」である。
・芝明神境内で開催していた江戸相撲をめ組の火消し衆が無銭見物しようとしていたところを通りかかった力士が注意した、このことが発端となりその後芝居小屋で鉢合わせした両者(火消し組と力士組)が仲間を集め大乱闘となり芝居を台無しにしてしまった。(この時、力士組の中に鬼怒川もいた ...当時35歳)
・幸い死者は出なかったものの、三奉行(寺社奉行、町奉行、勘定奉行)より特に火消し衆達には厳しい御咎めがあったようだ。
・やがて大乱闘を起こした双方(火消し組と力士組)が奉行所の取り調べを受ける日がきた。鬼怒川は裁きを待つ間、雷のようないびきをたて、敷石の上で大の字になって寝てしまった。その姿を見た奉行は「罪あるものは白洲に引き出されようとする時、寝ることなどできぬ」「汝の潔白は相見えた ...調べるに及ばず」と無罪放免の判決が下った。
・この喧嘩騒動は講談本等になり正義を通した力士を主人公に江戸町民に広く知らされた。今も日本相撲協会の歴史の一ページに記載されている。

         参考文献:ふるさと大島の伝説