奥/天神社
由緒・余聞
・今、社のある場所は900年頃 菅原道真公が大宰府に左遷される途中、荒しに遭遇、大工ノ浜に漂着した一行は安全で 小高いこの地(現在の楡木集落)に避難したと言われている。その時道真公はこの場所に小さな松の幼木を供えて天 ノ神に祈とうしたという ...そして ”我に罪なくば栄えたまえ”と、となえてその松を手植えしたという言い伝えが この地に残っている。 ・この天神様は、江戸時代(1600年代)に当地に土着し大庄屋となった原田家の先祖(原田和泉守の子)が勧請して いる。その当時、道真公が手植えしたと言われる松が残っていたかどうかは不明である ...。 ・現在の本殿は、明治28年9月に改築したものである。特に屋根瓦は重厚感があり、歴史を感じさせる。 ・ここには、もう一つ珍しい石造物がある。境内の注連柱横に建立されている常夜燈で「火袋」部分が丈夫な栗の木で 出来ていて、また「笠」「中台」部分など年代を感じさせる自然石で造られており、一見の価値ありです! |
由緒・余聞
・今、社のある場所は900年頃 菅原道真公が大宰府に左遷される途中、荒しに遭遇、大工ノ浜に漂着した一行は安全で小高いこの地(現在の楡木集落)に非難したと言われている。その時、道真公はこの場所に小さな松の幼木を供え、天ノ神に祈とうしたという
..そして ”我に罪なくば栄えたまえ” と、となえてその松を手植えしたという言い伝えがこの地に残っている。 ・この天神様は、江戸時代(1600年代)に当地に土着し大庄屋となった原田家の先祖(原田和泉守の子)が勧請している。その当時、道真公が手植えしたと言われる松が残っていたかどうかは不明である ...。 ・現在の本殿は、明治28年9月に改築したものである。特に屋根瓦は重厚感があり、歴史を感じさせる。 ・ここには、もう一つ珍しい石造物がある。境内の注連柱横に建立されている常夜燈で「火袋」部分が丈夫な栗の木で出来ていて、また「笠」「中台」部など年代を感じさせる自然石で造られており、一見の価値ありです! |