御嶽山量剛寺跡
由緒・余聞
<御嶽山量剛寺跡> ・市指定史跡(指定年月:昭和49年7月30日) ・所在地:笠岡市西大島字御滝 ・所有者:竜王神社 ・御嶽山は大島中と西大島に跨る市内で二番目に高い山(標高323m)で瀬戸内海国立公園の一角でもある。 ・このような名山 山頂付近には平安時代、円仁上人(慈覚大師)が唐から帰国の途中、ここに寺を建立し「御嶽山 量剛寺」と称したと伝えられている。かっては僧侶が集まり修行する清掃閑静な場所(伽藍)であったようだ。 その後、何時の頃かは不明であるが廃絶してしまった。 ・ここ境内では以前、礎石四個が南側面に残っていたり、また平安朝当時の布目瓦が多く発見されるなど、この場所 に伽藍があったと思われる確かな痕跡が見つかっている。 ・当時の御岳山は全山に末寺・宿坊があったと言われており、我々が想像している以上に全体が仏の世界であり霊山 だったようだ。 ・現在この境内の一角には御瀧神社(寛文6年創建)の末社にあたる竜王神社(別名:祈雨神社)が建立されている。 |
由緒・余聞
<御嶽山量剛寺跡> ・市指定史跡(昭和49年7月30日指定) ・所在地:笠岡市西大島字御滝 ・所有者:竜王神社 ・御嶽山は大島中と西大島に跨る市内で二番目に高い山(標高323m)で瀬戸内海国立公園の一角でもある。 ・このような名山 山頂付近には平安時代、円仁上人(慈覚大師)が唐から帰国の途中ここに寺を建立し「御嶽山量剛寺」と称したと伝えられている。かっては僧侶が集まり修行する清掃閑静な場所(伽藍)であったようだ。その後、何時の頃かは不明であるが廃絶してしまった。 ・ここ境内では以前、礎石四個が南側面に残っていたり、また平安朝当時の布目瓦が多く発見されるなど、この場所に伽藍があったと思われる確かな痕跡が見つかっている。 ・当時の御岳山は全山に末寺・宿坊があったと言われており、我々が想像している以上に全体が仏の世界であり、霊山だったようだ。 ・現在、この境内の一角には御瀧神社(寛文6年創建)の摂社にあたる竜王神社(別名:祈雨神社)が建立されている。 |