素盞嗚神社/手水鉢&常夜燈
由緒・余聞
<神社変遷> ・当神社は元亀3年(1572)3月備後国 鞆ノ浦祇園宮より素盞嗚命を勧請し、氏神としてここに奉祀。 素盞嗚命は牛頭天王と称せられたことから天王宮(天王様)と称した。 ・寛文6年(1666)池田光政の社祠・寺院破壊政策で危機を感じた、当時の地区の代表(忠三郎氏)が天王宮の ご神体を釜の中に納めて境内の東南端の断崖に埋め難から逃れたと...そして享保末期頃 善兵衛氏がこれを 発掘して再祀したと神社史に残っている。 ・明治3年3月 太政官布告により天王宮を素盞嗚神社と改称、昭和21年1月には当神社を村社に昇格。 <手水鉢> ・ここ素盞嗚神社大鳥居横に海亀の形をした大きな手水鉢がある。 ・「鶴」「亀」は縁起物として神社でよく見かけるが、この手水鉢は自然石で出来た石造物としては県内最大級で ある。 ・また、こんな巨大な石を誰がどうやって、ここまで運んだのか?...神社史には、建立は明治30年1月で当時 北木島・豊浦の大岸海岸でこの石を見つけた氏子衆が、筏に大きな樽を付けこれに吊るして運んだと記録が残って いる。...” 当時の石工職人の技を、今ここで見ることができる ” <常夜燈> ・そして参道の石段を上がると、まず青木石で出来た注連柱と常夜燈が出迎えてくれる。ここには宝珠部分が大砲 の弾丸に似た珍しい形をした常夜燈がある。 ・建立は昭和に入ってから(昭和14年7月)のもので、当時台湾で事業に成功した、地元小烏出身の氏子兄弟が寄 贈したもので、竿の部分に二人の名前が彫られている。 |
由緒・余聞
<神社変遷> ・当神社は元亀3年(1572)3月備後国鞆ノ浦祇園宮より素盞嗚命を勧請し氏神としてここに奉祀。当神社は元亀3年(1572)3月備後国鞆ノ浦祇園宮より素盞嗚命を勧請し氏神としてここに奉祀。素盞嗚命は牛頭天王と称せられたことから天王宮(天皇様)と称した。 ・寛文6年(1666)池田光政の社祠・寺院破壊政策で、危機を感た当時の地区の代表(忠三郎氏)が天王宮のご神体を釜の中に納めて境内の東南端の断崖に埋め難から逃れたと、そして享保末期頃善兵衛氏がこれを発掘して再祀したと神社史に残っている。 ・明治3年3月 太政官布告により天王宮を素盞嗚神社と改称。昭和21年1月には当神社を村社に昇格。 <手水鉢&常夜燈> ・ここ素盞嗚神社大鳥居横に海亀の形をした大きな手水鉢がある。 ・「鶴」「亀」は縁起物として神社でよく見かけるが、この手水鉢は自然石で出来た石造物としては、県内最大級である。 ・またこんな巨大な石を誰がどうやってここまで運んだのか?...神社史には、建立は明治30年1月で当時、北木島・豊浦の大岸海岸でこの石を見つけた氏子衆が筏に大きな樽を付け、運んだと記録が残っている... 当時の石工職人の技を今ここで見ることができる。 ・そして参道の石段を上がると、まず青木石で出来た注連柱と常夜燈が出迎えてくれる。ここには宝珠部分が大砲の弾丸に似た大変珍しい形をした常夜燈がある。 ・建立は昭和に入ってからのもので、当時台湾で事業に成功した地元小烏出身の氏子兄弟が寄贈したもので竿部分に二人の名前が彫られている。 |