両郡橋/牛塚群
由緒・余聞
・小黒崎両郡橋東詰袂に鎮座する ”三基の牛塚と供養碑 ”。 ・もともと、これらの碑は橋の西詰にあったものを、橋の架替えや交差点付近の改良工事のあおりを受け、現在の 場所に移された経緯がある。 ・三基並ぶ牛塚の内、左端の碑には「万人講」「昭和12年2月」「藤井彦作」の文字が確認できるが、他の二基に ついては判読不能、風化の状況からこの三基は、ほぼ同時期のものと思われる。 ・ここ西大島周辺では昭和30年代まで万人講や頼母子講などの風習が残っていたようで、このような牛塚が多く見 られる。当時牛が如何に農耕に欠かせない戦力であったか伺える。 ・一方、右端の大きな供養碑は水難事故の犠牲者を供養した碑だと伝えられているが「南無阿弥陀仏」の文字以外は 判読できず、建立時期等不明。 |
由緒・余聞
・小黒崎地区両郡橋東詰袂に鎮座する”三基の牛塚と供養碑”。 ・もともと、これらの碑は橋の西詰にあったものを橋の架替や交差点付近の改良工事のあおりを受け、現在の場所に移された経緯がある。 ・三基並ぶ牛塚の内、左端の碑には「万人講」「昭和12年2月」「藤井彦作」の文字が確認できるが、他の二基については判読不能、風化の状況からこの三基は、ほぼ同時期のものと思われる。 ・ここ西大島周辺では、昭和30年代まで万人講や頼母子講などの風習が残っていたようで、このような牛塚が多く見られる。当時牛が如何に農耕に欠かせない戦力であったか伺え る。 ・一方右端の大きな供養碑は、水難事故の犠牲者を供養した碑だと伝えられているが、南無阿弥陀仏の文字以外は判読できず、建立時期等不明。 |