大島八十八ヶ所霊場

由緒・余聞

・一生に一度は四国八十八ヶ所お遍路の旅を願う民衆の気持ちに応え、当時の東大島(今の寄島)、中大島、西大島の地に
 八十八ヶ所のミニ霊場が創設されたのは、文久11年(1828)のこと ...。
・発願者は東鏡(寄島)の五人組頭 原田子平太氏である。時の大庄屋 原田忠五郎や各村の三役の賛同のもと、東奔西走し
 金銭や労力、米穀や木材など民衆からも貰い、自らは石仏、お堂などの建立に私財を投じるなど、大島三村総力でこの地
 に八十八ヶ所の霊場を創設した。
・開創時には、龍城院の随範和尚による落慶開眼供養が盛大に執り行われたと言われている !
巡路は発願者の地元(鏡)を発信札所として、東大島より中大島の南部を経由、つづいて西大島の西端から再び中大島
 の中北部を東上し、二階の土居山が結願所となっている 。
八十八ヶ所全ての霊場の下には、それぞれ四国霊場の霊砂が納められている !

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